当たり前だけど、最初にどこかしら就職していないと転職できないよね。
そうだよね。『転職』
それは、職を変える事だ。
だから今回は、私が最初にどんなふうに就職して、どうして転職を考えることになったのかをゆるっと書いてみるよ。私はいわゆる「超就職氷河期世代」。就職氷河期世代の転職って、今よりずっと厳しかった時代。
この体験談は、『就活中50社落ちた私が、語学留学して契約社員になって…結局“残業地獄”で転職を決めた話』だよ★
氷河期世代の就活は、まあまあ地獄だった
大学生ならだいたい3年生の後半くらいから就職活動するのかな?少なくとも1月くらいから動いていた気がするね。氷河期世代は、大学を出ても、正社員として雇ってくれる会社はとにかく少なかった。
50社受けても受からない。日常だったよね。
それでも就職活動は続く。
本当に、今までの自分を否定されている気分になったものだ。
でもさ、やっぱり親は就職決めてもらいたいんだよね。
『どの会社にするの?今日がどうだったの?』
そんな事聞いてくる。
そんな事知らんがな。お前はいいよな。専業主婦で。働かなくても良いご身分で。団塊世代!!
そう思ってたし、現在進行形でも思っているよw
そんなある日、バイト先の店長に言われた一言が、私の人生の方向を変える。
バイト先の店長の言葉
そんな就職活動真っ只中。バイト先の店長(以下マスター)が言ってきた。
『なぁ、える。お前、本当にやりたいコトはそんな飲食店か?』
当時私は関西圏中心のうどん屋さんの募集を見て、活動していた。
私:「え、いやぁ。別に…。とりあえず、就職しとかないとなぁ、って。」
マスター:「じゃあ、別にどうしてもやりたくないなら、やめておけ。チャンスはまた来るから」
私:「じゃあ、今、どうすればええのん?」
マスター:「とりあえず、資格とかそういったものやな。自分にしかできないもの系や。俺の時代はバブルで就職難なってなかったけど、今は違う。今無理して就職せんでええ。」
まぁ、その一言で、就職活動を止めた。

マスターは、元JTBの社員だった。そして、アメリカで仕事をしていたこともある人だ。バーには海外からのお客様もそこそこいた。マスターは英語が喋れるし、私も少しだけ喋れたので英語で接客をしていたんだ。バイトの募集も英語の雑誌に掲載し、海外留学生のバイトを雇っていたりした。私もその留学生と会話をしていく中で日常会話レベルはできたと思うんだ。
その経験から心機一転!語学留学することに決めた!(若気の至り)
やっぱり英語くらいできていないとダメだよね!
そうだ。イギリスへ行こう。(そうだ。京都へ行こうのノリで)
とりあえず語学留学
英語力を鍛えよう!
そう思って、一人、イギリスへ語学留学。
なんでイギリスなのかって?
それは単純に紅茶が好きだからだ。
半分紅茶を飲む目的でイギリスへ行った。
場所はイギリスのコッツウォルズ地方。チェルトナム。
ここで約3か月ほど過ごし、フツーに喋れる程度の語学力を身に着ける。何か商談を契約してこい!は無理だけど、旅行する程度の会話力は身に着いた。
良かった良かったw
就職活動と両親の離婚
語学留学から帰ってきたら、あら、大変。
親が離婚していたよw
だから、家を出て行かないといけなくなったよw
もう、笑うしかないw
必死で就職先探したよw
おかげさまで、教免持っていたから『契約社員』で学習塾に就職できたよ。でも、前から続けていたアルバイトも休みの日にやっていたよ。
別にダブルワークってわけでもなくて、やりたいからやっていた。マスターも快諾してくれていたからね。
就職
さて、決まった就職先は、俗にいう『学習塾』だ。当時、普通の学習塾だった。当時は非正規雇用も多くて、正社員になれない人も普通にいた。
私が辞めてから上場しやがって。恨みつらみも兼ねて、言います。
この塾はオススメしないよ!!
ブラック企業
学習塾は、たいていブラック企業。
勝手に、思っています。そう、学習塾って、氷河期世代の『教師になれなかった人の受け皿』だ。
それでも成績の良くない子どものために『お金を落とす親』が存在する。そんな『親心』に漬け込んで?商売は成り立つ。
親御さんに『この授業も受けないと合格しませんよ』的な勧誘や、時間外労働なども含め、結局半年で辞める。
まぁ、転職の最大のキッカケは『時間外労働』だよね。氷河期世代は働き方の選択肢が狭いと言われがちだけど、残業だらけの働き方はさすがに無理。
本当に『残業』は大嫌い。学習塾の営業時間は夕方からだ。だから営業時間前に出勤する『就業前残業』があったよね。本当に、当時は残業が当たり前の時代。声に出して『残業なんてしたくない!』なんて言うのは少数派だったよね。それでも多少は海外で過ごした身。はっきりと言いたいことは言う。
『なんで残業があるんですか??』
はっきり言って、今、この記事を書いている時点で、残業したのは10回ないよ。
『残業はしない』
これは私のステータスだ。

そんなこんなで、半年働いたから、『失業保険』も貰えるね!
なんだかんだでまだ(当時)若かったから勢いで辞める。でも、辞める時もすごかったよね。パワハラめいたもの。
『金(失業保険)が欲しくて辞めるんか!』
なーんて言われたよ。
私:『あ、はい、そうですよね。嫌な思いしてまで働きたくないですよねw』
当時の私、嫌なものは嫌。現在進行形。
パワハラにビビらず、しっかり辞める。
転職活動
さて、初めての転職活動だ。
失業保険のこともも併せてお伝えしよう。
でも勘違いしないでほしい。失業保険をもらったのもこの時1回限りだ!!
失業保険
失業保険。
当時は今と違って、失業保険をもらえる要件が厳しかった。
まず、6カ月働いていないといけない。そして、自己都合での退職だったので3か月の待期期間があった。即ち、失業保険がもらえるのは3か月後。
もらえるまでは『就職活動』
まぁ、貯金もあったので、ゆるりと『失業保険生活』を楽しんだw
合計、半年のまったり生活。
転職先決まる
失業保険生活もそろそろ終わりに近づく頃、真面目に転職先を探す。
そして、見つけた転職先。そこは、『商品先物取引』の会社だった。まぁ、ハローワークで見つけたんだけどね。
初めての金融機関。初めての正社員。
この頃でも一応、正社員にはなれたんだ。
でも、結局2年と少しでこの会社も辞めるんだけどね。
でも、この会社で就職できたことが、私の運命を変えるきっかけとなったのだった…!
(つづく)
次回:最初の転職について書きます
最初の転職。
やっぱりドキドキはするよ。だって最初だもん。
でもね、だんだん慣れてくるんだよw
あまり良い事ではないかもしれないけどね。
次は商品先物取引の会社からの転職のことについて書いていくよ!続きも楽しみにしていてね★

それでは、皆さま、ごっきげんよー★


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